BAGU TOPICS 2002年05月27日

来日中の大野俊三さん(tp)、ツアーメンバーとともに御来店

猿渡さん&俊三さん
虹のトランペット「大野俊三ツアー2002」
この日は岐阜市民会館でのコンサート。ママさん、北川さん、大野先生などBAGU関係者が大挙して見に行っている。 残念ながら僕はコンサートには行けなかったが、「BAGUで打ち上げがある」という情報を入手してカウンターでドキドキ しながら御一行様の到着を待つ。「おつかれー」という言葉とともにいよいよ俊三さん一行がご来店。 その姿を一目見た瞬間、緊張のあまりカウンターから一歩も動けなくなってしまった。 俊三さんの高校時代の同級生(もちろんマスターとも同級生です)なども集まってテーブル席はすぐ一杯に なり、マスターの乾杯の挨拶とともに盛大に打ち上げが始まった。噂を聞きつけてか、いつの間にかニュースタの面々の姿もちらほら。 俊三さんと接触できないまま時間だけが過ぎてゆく。ここぞというところで準備してあったCD『日本の詩情』を持ってサインを もらうべくメンバーのところを順番に回ることにした。つたない英語でサインをお願いして最後に「サンキュー」とお礼を言って握手をしてもらう。 その時、この様子を見ていた俊三さんから「あなた、発音悪いねー、サンキューじゃなくてテェンキューだよ、ハハハッ」と茶化されて 一挙に緊張がほぐれて楽になった。うーん、気さくで面白い人だ。その後、このホームページの紹介などをさせてもらったが、果たして俊三さんはこのページを 見てくれるだろうか?
ママさん&メンバー
左からジョン・ハート(g)、ママ、ヘンリー・ヘイ(p)
ビリー&大野先生
ビリー・キルソン(ds)にサインをねだる大野先生

途中俊三さんが、大勢のお客さんにてんてこまいしているカウンターのスミくんを見てカウンターに入ってきた。

  「やっちゃん(猿渡さんのこと)、俺カウンター入って皿洗いでもしよっか?」

そんな冗談とも本気ともとれない一言でまたどっと盛り上がる。久々の故郷凱旋ということもあってか、とにかくとことん能天気。 演奏を聴く前に人柄にホレてしまった。この冬は待望のBAGUでのライブが決まっている。 僕はそこで初めて生演奏に触れることになるのだが、とにかく待ち遠しい

エドワード&スミくん
エドワード・ハワード(b)とスミくんの2ショット
打ち上げ
盛り上がる店内

大野俊三(tp)

1949年岐阜県出身

1974年にアート・ブレイキーの誘いでニューヨークへ渡り、アート・ブレイキーやロイ・ヘインズとの 共演の後、ノーマン・コナーズのダンズ・オブ・マジックに参加して、3年間にわたり世界ツアーを行う。

その間、ノーマン・コナーズとのレコーディングでは、ミリオンセラーとなったアルバム「ユー・アー・マイ・スターシップ」 にフューチャーされた『バブルス』の作曲・編曲をまかされ、ノーマン自身がリリースした『バブルス』のシングルレコードも ゴールド・ディスクとなった。

また、マチート&アフロキューバンズの一員としてアメリカ国内はもとより、欧州や南米ツアーにも参加。大野のソロをフューチャーした アルバム「マチート・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド」は1984年度グラミー賞に輝いた。

1983年よりギル・エバンス・オーケストラに参加し、アルバム「ライブ・アット・スウィート・ベイジル」で2度目のグラミー賞を 獲得。

1988年に交通事故に巻き込まれ、唇を切り、前歯を折るなどトランペッターとしての致命的な危機に陥るが、強靭な精神力で見事に復活。 バスター・ウイリアムスのクインテットに迎えられ活動を再開。

1996年扁桃ガンを除去する大手術を受け、片側の唾液腺と神経を除去、再びトランペッターとしての致命的傷害を受けた。それは 楽器を一から始める状態でありながら更に挑戦し、演奏活動を再開できるまでに克服した。1998年の後半から1999年にかけて、 ウェイン・ショーターとも共演しており、1998年11月に行われたウェインのジャパン・ツアーの一員としても来日し、好評を博した。

1999年ギタリストのラリー・コリエルのワールド・ツアーに参加。

2000年には4度目の民音全国ツアーを行った。

2001年12月には今までの実績が評価され、U.J.C(ユニヴァーサル・ジャズ・コアリション&ニューヨーク・ジャズ・センター) より「アジア・アメリカ・ジャズ・コネクション音楽部門」芸術的貢献賞の第一回受賞者となった。

ヘンリー・ヘイ(p、key)

1969年アイオワ州出身

1995年、サックス奏者のビル・エヴァンスと共にブラジルのツアーに参加。 1996年よりジョン・アーノルド・グループのピアニストとなり、彼の最新のアルバムをプロデュースし、ピアノ曲全てを担当する。 メンバーにはケニー・ギャレット、ジョン・アバークロンビー、ジョン・パティトゥッチ、ケイリー・トーマスなど一流アーティストが 顔をそろえている。映画「X−ファイル」や「エディ」(主演:ウーピー・ゴールドバーグ)のサウンド・トラックをはじめ、 ビージーズ、バックストリート・ボーイズのアルバムなどにも参加するなど、多才な活動を繰り広げている。2000年の大野俊三 ・民音全国ツアーにも参加している。

ジョン・ハート(g)

1961年バージニア州出身

12歳のときからギターを始める。マイアミ大学時代にジャズに惹かれて、音楽で学士号を取得。卒業後はラテンのポップスター、 ホセ・ルイス・ロドリゲスと海外をまわる。1984年にニューヨークに移り、アポロシアターの専属バンドにも加わり、数々のアーティストの アルバムに参加する。1990年には自らのバンドのOne Downがレコードデビューするなど、現在に至るまで多才な音楽活動を展開するかたわら、 ニューヨーク市92nd St.YMHAの音楽指導にもあたっている。2000年には大野俊三のアルバム『日本の詩情』に参加し、 情感溢れる演奏を繰り広げている。

エドワード・ハワード(b)

1960年ワシントンDC出身

1982年より、ドラムの巨匠、ロイ・ヘインズと共に長期にわたって活動を開始。 1983年より1992年までクリフォード・ジョーダン・カルテットの一員として活躍。 その後、エディ・ヘンダーソンやパット・メセニーなどと共演し、2000年のオーシャンブルー・ジャズフェスティバルでは 大野俊三と来日し、好評を博す。2000年にはこの他ボブ・バーグ、スティーブ・ウイルソン、イヴァン・リンスなどと世界ツアーを 行っている。現在のジャズシーンでもっとも活躍しているベース奏者の一人。2001年には綾戸智絵のジャパン・ツアーにおける ゲスト・プレイヤーとして来日している。

ビリー・キルソン(ds)

1962年ワシントンDC出身

16歳の誕生日プレゼントにドラムのセットを贈られて以来、多種多様なジャンルのレコードに合わせながらドラムを叩き、あらゆる スタイルの演奏を独学で習得。 1985年バークリー音楽学校卒業後は、ダイアン・リーブスなどのグループに誘われ、欧米の主要フェスティバルに参加する。 現在は、ボブ・ジェームス、デイブ・ホーランド、ラリー・カールトンなどと共演している。 ジャズタイムズ誌は、「並外れた正確さ、パワー、気品を兼ね備えている」と絶賛。2001年のアルバム製作はマイケル・ブレッカーを 始め、一流アーティストと10作品に参加している。大野俊三とは初顔合わせである。


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